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飛雪の滝や棚田など、絶景が目白押し!東紀州を訪れて感じる「日本人らしさ」

更新日時:

尾鷲市

熊野市

御浜町

紀宝町

海・山・川の美しく大らかな自然、悠久の歴史を秘めた里での営み。

東紀州は、 そんな環境により育まれた四季折々の恵みや人々の温かさにあふれ、「日本らしさ」が感じられる場所。

にほんの里100選に選ばれた須賀利や浅里、地域の産業を知る丸山千枚田やみかん畑、また尾呂志の風物詩や波田須の伝承など、海沿いや山間を歩けば、 その土地ならではの景観やストーリーが感じられるでしょう。

6つの地域をご紹介します。

▼目次

1 須賀利[尾鷲市]にほんの里100選
2 波田須・徐福の宮[熊野市]
3 丸山千枚田[熊野市]日本の棚田100選
4 尾呂志・風伝おろし[御浜町]
5 みかん畑[御浜町]
6 浅里集落[紀宝町]にほんの里100選 飛雪の滝

 

1 須賀利[尾鷲市]にほんの里100選

海に突き出した半島部にあり、周囲に迫る緑の山と入り組んだ深い海とに挟まれた漁業の町。

高台から見下ろせば、瓦屋根の古い民家およそ200戸が、海から山へとびっしり張り付き、壮観な風景。昔ながらの漁村の風景を一望できます。

豊かな自然と美しい景観の小さな漁村は、映画やテレビドラマのロケ地にもなり、平成21(2009)年には「にほんの里100選」に選ばれました。

江戸時代には、大坂と江戸の間を行き来する船が立ち寄った風待ち港でした。

かつては近くを回遊するマグロやカツオの恵みがもたらされ、現在では伊勢海老漁やタイなどの養殖が営まれています。

須賀利は尾鷲市の飛び地です。昭和57(1982)年に県道が開通するまで、尾鷲市街地には巡航船でしか行くことができない「陸の孤島」でありました。

約100年にわたって住民の足となっていた巡航船は、平成24(2012)年に廃止されましたが、車で訪れる人も増え、隣接の紀北町とのつながりも深まっています。

 

2 波田須・徐福の宮[熊野市]

波田須1

秦の始皇帝の命を受け、不老不死の秘薬を求め船出した「徐福」。

2千年前の徐福の渡来伝承地は、全国20か所以上に伝わりますが、有力とされているのが熊野の「波田須」です。

波田須は古く「秦住(はたす)」と記され、徐福の足跡が数々残されています。

永住を決意した徐福は、土木、農耕、捕鯨、医薬などの中国文明を広めたと伝わり、窯を設けて焼物を教えたともいわれ、今も波田須に残る「窯所」「窯屋敷」という地名が、このことを伝えています。

神として崇められ、徐福の宮に手厚く祀られてきました。

徐福の宮

地域には徐福が探し求めていた不老不死の仙薬とされるアシタバや天台鳥薬の木が茂り、徐福の宮に至る参道の修復中に、数枚の古銭が発掘されました。

これを中国の学者が鑑定したところ、秦の時代の古貨幣「半両銭」と判明。

半両銭の出土は国内でも大変珍しく貴重なものです。

波田須2

波田須の熊野古道に敷き詰められる石畳は、伊勢路の中では最も古く、鎌倉時代の道。

一つ一つの石が重厚で大きく、江戸時代の石畳とはっきり区別がつきます。

海を望む風光明媚な集落で、ロマンあふれる歴史文化を味わいましょう。

 

3 丸山千枚田[熊野市]日本の棚田100選

丸山千枚田2

熊野市紀和町の丸山地区。

山の斜面に何枚もの水田があり「丸山千枚田」と呼ばれます。

「一枚足りないと思ったら笠の下にかくれていた」といわれるほど、小さな田が幾重にも重なり合い、その数およそ1340枚。

春は水を張った田んぼに夕日や満月が映り込み、夏は青々と育った稲穂が田んぼを埋め尽くし、秋は豊かに実った稲穂が黄金色に輝きます。

冬は棚田が雪化粧をすることもあり、どの季節に訪れても絵になるスポット。

日本一の棚田景観とも言われ、「日本の棚田百選」にも選ばれています。

棚田がいつ頃造成されたのか、確かなことはわかりませんが、慶長6(1601)年にはすでに2240枚の田があったという記録が残ります。

しかしながら、後継者不足等により平成初期には530枚まで減少。

そこで「自分たちの代で貴重な文化遺産をなくすわけにはいかない」と地元住民が立ち上がり、平成5(1993)年に住民全員による丸山千枚田保存会が結成され、千枚田の復元と保全活動が始まりました。

翌年に「丸山千枚田条例」を制定、そして復田作業が行われました。

田んぼを利用した丸山千枚田オーナー制度には100組を超える登録があり、年間を通して稲作体験が行われ、棚田の保全と合わせ、都市住民との交流にもなっています。

千枚田の全景を眺めるには県道40号沿いの展望台へ。

駐車スペースがあり、ゆっくり撮影することもできます。

また山道を歩く体力があれば、熊野古道の通り峠にある展望台を目指すのもオススメです。

 

4 尾呂志・風伝おろし[御浜町]

風伝おろし

おいしいお米の里として知られる御浜町の「尾呂志」地区。

秋から冬、よくニュースとなるのが「風伝おろし」の出現です。

寒暖差の大きい日に見られる、朝霧が山肌を吹き下りる現象で、夜間に熊野市紀和町の盆地で発生した霧が風に流され、熊野古道・風伝峠を越えて尾呂志の集落へ流れ落ちます。

幻想的な光景をカメラに収めようと、早朝から多くの人が訪れています。

標高約250mの風伝峠は、字の通り風が伝わるという意味で、標高500m~800mの周りの山々より低く、稜線が風の通り道になっていることから、この名がついたといわれています。

”朝霧は晴れ”のサインのようですが、この現象も昼間の晴天を示すサインのひとつと言えそうです。

 

5 みかん畑[御浜町]

みかん畑1

「年中みかんのとれるまち」をキャッチフレーズとする御浜町。

橘栽培の歴史は古く、文献によると宝暦6(1756)年に紀州藩の家老職であった新宮水野藩主が、みかんの栽培を奨励したという記録があります。

明治時代になって、みかん栽培が盛んになると、それまでの桑畑がみかん園に切り替えられ、戦後は早生温州みかんを主体とした産地として県内や中京圏を中心に出荷量を伸ばしていきました。

みかん畑2

また昭和40年代に発見された極早生品種の「崎久保早生」が、早出しみかんの産地として地位を確立。

同時に増産を望む気運が高まり、昭和50年度に国営農地開発事業が実施され、温州みかん以外の甘夏や伊予柑、セミノールなど、中晩生柑橘の農地が造成され、一年を通じて柑橘類を生産する産地としての基盤ができあがりました。

また年間平均気温は約17℃、年間降水量は3000㎜以上の典型的な海洋性気候で、温暖多雨。

この気候を十分に活かし、一年中みかんが栽培されています。

 

6 浅里集落[紀宝町]日本の里100選 飛雪の滝

浅里地区

かつては川が生活道だった「浅里地区」。

山里の交通手段は川舟でした。

浅里から和歌山県側へは、熊野川を舟で行き来したそうです。

 

山の斜面には50戸ほどの家々が石垣を築いて身を寄せ合っていて、林業盛んなころは、十津川や北山から下流の新宮の市場に木材を運ぶ筏流しのための宿もありましたが、今はひっそり。

自然に囲まれたのどかな集落は、平成21(2009)年に「にほんの里100選」に選ばれています。

 

飛雪の滝

今は、平成30(2018)年4月にリニューアルオープンした「飛雪の滝キャンプ場」から、にぎやかな声が聞こえてきます。

ここは落差30mにもなる「飛雪の滝」を間近で体感できるキャンプ場。

広々とした滝壺は、夏の川遊びに絶好の場所です。

滝の名前は、初代紀州藩主・徳川頼宜があまりの美しさに感動して「飛沫さながら雪の舞い」と詠んだ漢詩に由来します。

滝の上流には遊歩道があり、緑豊かな森の中を散策できます。

田園に囲まれた昔ながらの里山風景に、心をほぐす癒しのひとときが過ごせます。

 

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